こんな方におすすめ
- 海外ビジネスやバックパッカー旅行を検討している方
- 「異文化交流」の光と闇の両面を理解したい方
- 危険地域への出張・視察が予定されている方
私たちは海外という言葉に「自由」や「刺激」、「異文化交流」といったポジティブな印象を抱きがちです。しかし、その裏側には、想像を超える現実が潜んでいることもあります。SNSやYouTubeを通じて世界が近くなった今、誰でも簡単に「海外のリアル」を覗けるようになりました。そんな中で、私が心を動かされたのが、元K-1王者・魔裟斗さんのYouTubeチャンネルに登場した“ゴンザレスさん”との対談動画でした。
危険地帯の取材で知られるジャーナリスト・ゴンザレス氏は、メキシコやアフリカ、ブラジルなど、命の危険と隣り合わせの地域で「子供が小さいうちから人を殺す教育を受ける現実」を語っていました。それを見ながら、ふと自分が数年前に訪れたカンボジアでの出来事を思い出したのです。
私が体験したのは、まさに「笑顔の裏に潜む敵意」。それは観光ガイドブックでは決して知ることのできない、東南アジアの光と闇が交錯する現場でした。この記事では、私自身の実体験を通して、海外に潜む危険と、そこから見える人間社会の深い闇についてお伝えしたいと思います。
学びよりも「異空間」だったカンボジア滞在
私がカンボジアを訪れたのは3年前。目的は「現地ビジネスを学ぶ」というものでした。仲間数人と共に、首都プノンペンを拠点に数日間の視察に参加。現地の通訳は日本語が驚くほど上手で、移動中のバスの中でもカンボジアの文化や経済事情を詳しく説明してくれました。
3時間ほどバスで走ると、都市の喧騒から離れ、赤土の大地と素朴な村が続く風景に変わります。そこには、都会の発展とは無縁の小さな市場、手作りの屋台、そして子供たちの笑顔がありました。彼らは裸足で駆け回り、外国人を見つけると「ハロー!」と無邪気に声をかけてきます。表面だけを見れば、貧しいけれど温かい国。多くの日本人が抱く「東南アジアの素朴な魅力」というイメージそのものでした。
しかし、現地での数日間は、次第に「学び」というより「異空間に放り込まれたような感覚」に変わっていきました。物価の安さ、現地企業の仕組み、生活スタイル……どれも日本の常識では測れない。特に印象的だったのが「夜市(愛知)」と呼ばれるナイトマーケットです。毎週末のように開かれ、人々が食事や音楽、賭け事を楽しむ“お祭り空間”。屋台の明かりに照らされた通りには、人懐っこい笑顔と強烈なエネルギーが溢れていました。
ところがその帰り道、私の中で“何かが音を立てて崩れる瞬間”がありました。夜市へ向かう途中、可愛らしい5人ほどの子供たちが駆け寄ってきたのです。小さな手でこちらを指差し、笑顔で何かを喋っている。私は「かわいいね」「将来楽しみだね」と仲間と微笑ましく見ていました。
しかし、通訳が顔を曇らせながら言いました。
「今、何を言っていたか分かりますか?……“お前ら殺すぞ”って言ってました。」
その瞬間、笑顔が一気に凍りつきました。あの無邪気な表情で、そんな言葉を発する――理解が追いつきませんでした。怒りや挑発ではなく、まるで日常会話のように自然に出てくる“死”の言葉。その背景には、私たちが想像する以上の闇があるのだと直感しました。
笑顔で「殺す」と言う子供たち──歪んだ教育の連鎖
笑顔で放たれた「お前ら殺すぞ」。それは単なる悪戯でも冗談でもなく、社会の構造が生み出した言葉でした。カンボジアは長い歴史の中で、内戦、独裁、外国勢力の影響を受け続けてきた国です。特に近年では、中国資本が経済の深部まで入り込み、カジノやリゾート開発が進む一方で、裏社会の動きも加速しています。
ゴンザレス氏が語っていた「子供が幼い頃から銃を握り、殺しを学ぶ」という話が、まさか自分の目の前にある現実と重なるとは思いませんでした。発展途上国では、教育を受けられない子供たちが親の影響で犯罪や売春、詐欺に手を染めることが珍しくありません。中には外国人を標的とするケースもあります。
しかし、今回の子供たちのように“笑顔で敵意を向ける”というのは、また別次元の恐怖でした。怒りでも憎悪でもなく、ただそれが「普通」として定着している。つまり、“憎しみを憎しみと感じない社会”がそこに存在するということです。
通訳いわく、カンボジアでは貧困地区の子供たちが外国人に対して強い劣等感や反感を抱くことが多く、「富裕層=外国人=搾取する存在」という構図が幼い頃から刷り込まれているそうです。彼らにとって笑顔は「警戒を解くための仮面」であり、敵意を隠すための自然な手段なのです。
私はその夜、ホテルに戻ってからも眠れませんでした。
あの笑顔が頭から離れなかったのです。
無邪気に見えるその表情が、どこか冷たく、底知れない虚無を感じさせました。
異国の闇から学ぶ“警戒心”という教訓
日本に住んでいると、「人を疑う」ことを悪いことだと感じがちです。しかし、世界ではそれが“生きるための本能”になっている地域もあります。今回のカンボジアの体験を通して私が強く感じたのは、「平和な日本の価値観は、世界では通用しないことがある」という現実です。
カンボジアだけでなく、アジアの多くの地域では、外国資本による支配構造が根強く残っています。経済的に発展しているように見えても、その裏では貧富の差が広がり、腐敗や不正が当たり前に存在しています。
「外国人=金を持つ=利用できる存在」という構図が根付いている国では、旅行者が笑顔で近づいてくる人を見ても、常に“裏”を読む必要があるのです。
ゴンザレス氏の言葉を借りれば、「現地で安全に生きるためには、信じすぎないこと」。
これは決して悲観的な考えではなく、むしろ自己防衛として必要な感覚です。
私にとって今回のカンボジア滞在は、学びではなく「気づき」でした。
文化も言葉も違う国に足を踏み入れる以上、現地の笑顔の裏にある“構造的な闇”を理解することが、真の異文化理解だと気づかされました。
そして何より大切なのは、「危険を遠ざける」だけでなく「知って備える」こと。
これは旅行者だけでなく、海外で働くビジネスマンにも共通して言えることです。
まとめ
今回の経験を通して、私は「海外の笑顔をそのまま信じてはいけない」という現実を知りました。もちろん、すべての国や人がそうではありません。しかし、社会的な背景や教育環境によって、人々の価値観や倫理観は大きく変わる。
“笑顔=善意”とは限らないのです。
YouTubeで見た魔裟斗さんとゴンザレスさんの対談が、私の記憶を呼び覚ましたように、世界にはまだまだ私たちが知らない闇が存在します。それを「怖い」と感じるのではなく、「知ること」で身を守ることが大切だと思います。
私はこれからも海外を訪れたいと思います。
しかしそのときは、もうあの頃のように無防備ではいません。
海外旅行とは、異文化を楽しむだけでなく、自分の常識を疑い、命の価値を再確認する時間でもあるのです。